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弘中又一(ひろなかまたいち)

弘中又一(ひろなかまたいち)高ヒット
   カテゴリー人物    前回更新2010-5-26 13:17    

「坊ちゃん」のモデル弘中先生は柳井にいた
-松山で漱石とともに教べん-

 明治二十七年から翌二十八年の一年間、柳井小学校に弘中又一という先生がいました。
その後、弘中先生は柳井小学校から松山中学校に就職されて、夏目漱石と知り合いました。漱石は「坊ちゃん」という小説を書くに当たって、弘中先生をモデルにしました。そのことをいま柳井市で知っている人はほとんどいません。これは漱石の研究者である四国女子大学教授新垣宏一氏の照会によってわかりました。弘中先生は明治六年十二月に徳山市湯野の堅田氏の旧家臣の家に生まれ、同志社を卒業しました。そのとき二十一歳で中学校教員の資格がなくて、代用教員として柳井小学校に務めました。
 これは先生の長女である田布施町の弘中薫さん(六四)が、父から聞いておられました。柳井市古市の安田長槌さん(八八)も、弘中先生の名前を聞いたことがあるそうです。先生が「坊ちゃん」のモデルであることは、漱石の娘ムコの松岡譲著「ああ漱石山房」によっても知られています。松山中学校では若い教師で坊ちゃんというあだ名をつけられていたといいます。弘中先生は柳井小学校のころ結婚されていて、タカ夫人は親もとの湯野において単身赴任していました。弘中家はいま人に渡っていますが、家と屋敷はそのまま残っています。
 弘中先生は漱石が「坊ちゃん」のモデルにしただけに面白いエピソードがあります。のちに埼玉県の熊谷中学校に転勤されましたが、ある日路上で鰻を売っていました、買ったのはよいが入れ物がありません。そこで先生は山高帽に鰻を入れたそうです。
 先生は晩年京都に住んで、数学などの研究をされていましたが、昭和十三年八月に死去されました。

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