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八朔船流し(はっさくふねながし)

八朔船流し(はっさくふねながし)高ヒット
   カテゴリーまつり    前回更新2008-9-5 8:51    

八朔の船流し
 旧暦8月1日、八朔(はっさく)の日に頼母(たのも)の節句の行事として、柳井津の商家のお嬢さんが大正時代の末頃まで「船流し」を楽しんでいました。昭和になりこの伝統行事が途切れていましたが、復活を願う人たちの要望にこたえて、「柳井市白壁の町並みを守る会」の主催で平成12年再現され、今年も地元女子中・高校生がゆかた姿で参加し、華やいだ雰囲気のもとでおおいに盛り上がりました。
 八朔の日は、立春から数えて二百十日、農家にとって厄日です。そこでこの日をたのも(田の面)(田の母)の節供(せっく)として神にお供えをして風鎮を祈り五穀豊穣を願ったのです。[※米の粉の団子を供え、頼母船で田の面(母)の神に届ける行事で、雛(ひな)流しとは起源は異なるようです。]
 江戸時代になるとこの風習が武家社会や町人に拡がると、“田の面”が“頼母”となり個人的な頼み(お願い)をすることになりました。特に武家社会では、徳川家康の江戸城への入府が8月1日であることから、八朔を特別の日としていました。一方商家では“頼母の節句”に神に供えものをし、子供の無事な成長を祈ったといいます。
 柳井市史編纂委員であった中村正樹氏から聞いた話を紹介します。『古市の豪商佐川醤油店の令女が大正時代末期に、八朔の日に(新暦の9月1日)に潮の満ちてきた柳井川にこの船流しをしていたのは、六つ年下の私が小学生の頃であった。令女は女学生で、私より四つ年上の姉も紙人形つくりを手伝い、屋形船は同家の醤油造りの職人がへぎ(折箱の材料となる薄板)で作っていたという。令女は「良いところに早く嫁に行けるように」と、“頼母”の神に頼んだのでしょう。船も厚紙で作り、大きさもいろいろで、雛人形も内裏雛二人と女官三人と船頭二人を乗せ“頼母船”と書いた幟(のぼり)を立てていた。』と。
 尾道市では頼母船に車を付け男の子に道路で曳かせ、男の子の無事な成長を祈る行事としています。福山市の“おもちゃ博物館”には柳井市の“頼母船”も尾道市の車付きの“頼母船”も陳列してあります。
 文責、柳井市学校支援ボランティアメンバー 金子佳孝

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