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展示物トップ : 歴史 : 人物 :  岩田みつ(いわたみつ)

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岩田みつ(いわたみつ)
岩田みつ(いわたみつ)高ヒット
前回更新2007-3-27 19:32    
岩田みつは、文化五年(1818年)阿月村字合中の農家、中本吉左衛門の娘として生まれました。子供のころから、機織が大層好きで、十三歳のころには自分で面白い縞柄を工夫して織っていたといいます。
 そのようなみつは、同じ村に住む青年で木綿の行商をしていた岩田里平から、珍しい各地の織物の柄や糸挽車の話などを聞くのが楽しみでした。
やがて二人は結婚し、日夜布の織り方や染め方の工夫を一緒にするという、織物について大変熱心な、また仲の良い夫婦でした。
 そのころのみつは、自分で織った木綿織物を柳井の町へ持って行き、綿と交換していましたが、ある日柳井の呉服屋に出かけ、今まで見たことのない模様の織物を見てびっくりし、それが絣という模様であることを知りました。その当時の木綿の柄と言えばほとんどが竪縞の模様だったからです。
 そんなある日、夫の里平が行商から伊予絣(今の愛知県で織られている絣)を土産に買って帰りました。みつはその伊予絣を見てすっかり心を奪われ、今まで以上に自分もこのような絣模様を織ってみたいと思い、染め方や織り方を考えてみました。
 ある雨の降る日、取り引きのある柳井の町の木綿問屋へ出かけての帰りのことでした。木綿の材料にする綿の包みを提げて雨の中を神明様の前まで来た時、みつはぬかるみに足をとられ転びかけた時、何気なく足元を見ると、赤土にぬれた一本の荒なわが落ちていました。
「この赤う染まったなわの色は落ちんもんじゃろうか」
みつは、ひとり言を言いながらなわを拾い、よりを戻してみると、わらの外側は赤土の水に染まって赤くなっていましたが、内側までは赤土水が浸透していないので、わらの地色とが一定の間隔を保って美しく染め分けられているのを見て、みつは長い間の絣織りに関する疑問の宿題を解くことができたように思いました。
 喜び勇んで家に帰ったみつは、糸のところどころを布切れや糸で固く結びつけ染める段どりをしました。そして桶に入れてある「あくじる」にその糸束を入れ、暫くして取り出し、水洗いをして乾かしました。
 その間に里平は、土間のすみにある大釜に、にがりや山桃の皮、それに水を加え火をつけると、温度が上昇するにつれてその大釜の液の色が赤味を帯びてきたので、塩を入れてから乾かした糸束をつけました。すると白い木綿の糸束はみるみるうちに赤茶色になっていきました。それがむらにならないようによく混ぜ、暫くして大釜から糸束を取り出し、水洗いをくり返しそれをしっかり乾かします。このようにして下染めをした糸束を、二日後に鉄屑を煮出した「鉄漿液」の中に入れて出来上がりです。
こうして糸は、見事な絣の糸になりました。
 それから何か月かたち苦心の末、帯地として竪の大絣の織り出しに成功しました。天保四年(1833年)みつが二十六歳の時です。
そのころ岩田の家の屋号が車屋と呼ばれていたので、これを「車屋絣」と銘打って売り出したところ、予想外の好評を得ました。そのうち土地の名前をつけた方がよいのではないかと言うことで「阿月絣」と呼ばれるようになりました。これが、「阿月絣」の始まりです。

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