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世良修蔵(せらしゅうぞう)
世良修蔵(せらしゅうぞう)高ヒット
前回更新2008-3-8 12:28    
 世良修蔵は大島郡椋野の庄屋、中司徳熹三男に生まれました。生家が裕福だったので、早くから各地に遊学し、二十歳のころ月性の時習館に学びました。月性は彼の才器を認めて浦氏の克己堂に推薦しました。二十二歳ごろ克己堂に就学し、一足先に就学していた赤袮武人や、家宰秋良敦之助の嫡男で、かつて月性の門下生でもあった雄太郎などとともに研修しました。
 赤袮が雲浜の望楠塾に旅立った安政四年の春ごろ、修蔵も江戸にでて安井息軒の三計塾に入門しました。息軒の「遊従及門録」によると、「戸倉修蔵」と称して安政四年から二年間在塾し、塾長代理をつとめています。息軒は海防論者で「海防私義」を著しており、昌平黌儒官にもなった人です。
 攘夷論者で「海防私策」を著した羽倉用九(簡堂)は、老中水野忠邦に引き立てられた幕吏ですが、息軒や藤田東湖・藤森弘庵(天堂)と親しく、修蔵は息軒の塾に在塾中に羽倉用九に教えを受けたようです。また、藤森弘庵にも師事しています。弘庵は「海防私論」を著し、攘夷論者でありますが、、安政四年に、京都で月性と弘庵の初めての出会いがあり、月性の紹介で弘庵に師事したと思われるので、安政五年前後のことでしょう。
 【世良修蔵屋敷跡】

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