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塩田(しおた)
塩田(しおた)高ヒット
前回更新2008-3-7 19:30    
 江戸時代、毛利氏の政策によって海岸の干拓が進められ、多くの入兵式塩田が築造されました。わが郷土における製塩の歴史は古く、ずっと以前から揚浜法による製塩が行なわれていました。揚浜法とは、砂浜に海水をかけ蒸発される方法であり、入浜式とは、満潮時の海面よりやや低くした塩田を造り、海水を導入して天日で濃くして最後に釜でにつめる方法です。
 伊保庄・阿月には、小野・中村・近長・竹ノ浦に揚兵が、そして高須・小田・宇積に入兵がありました。いづれも百姓小浜の集団でした。一時は隆盛をきわめたものの、柳井湾・平生湾一帯に塩田が見られたように、瀬戸内沿岸のどこでも競って塩田が造られたため、塩の供給過剰にしばしばみまわれ、苦しい経営をよぎなくされました。したがって、台風の災害後、復旧がなされないものも生じました。さらに明治後期には、塩の専売制がしかれたのをきっかけに収益性の低い塩田整理が行なわれ、伊保庄・阿月の塩田は戦前までにすべて廃止に至たりました。

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