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展示物トップ : 歴史 : 人物 :  国木田独歩(くにきだ どっぽ)

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国木田独歩(くにきだ どっぽ)
国木田独歩(くにきだ どっぽ)高ヒット
前回更新2008-1-4 13:49    
 独歩は明治9年、父・専八の山口裁判所勤務に伴い、東京から西の果て山口にやってきました。以後18年間、専八が岩国・山口・萩・楠・平生・ 柳井と転勤するとともに、それに従い、各地に多くの足跡を残しました。彼は「田舎」を賛美した作家でした。その田舎には、若き日に過ごした 山口県の美しい自然と温かい人情が示唆されておりこれを機縁に「少年の悲哀」「酒中日記」など数々の名作が生まれました。
宮本東・藤坂屋前 ここ藤坂屋本店は、文化二年(1805年)創業の柳井名産「三角餅」の製造所です。この本店の向かって右側の建物は、明治の文豪国木多独歩一家が居住した家です。
 明治二十七年(1894年)父専八は家族とともに、柳井市姫田の市山家の貸屋(現・国木多独歩記念館)からここに移住しました。その頃独歩は大分県佐伯の鶴谷学館(つるやがくかん)の教師を辞して引き揚げ、上京するまでの約一ヶ月間を家族とともにここに住みました。(独歩二十二歳の頃)
 その頃の作品には「置土産」「欺かざるの記」などがあり、独歩にとって柳井は忘れがたいところでした。
 「餅はまるきがなみなるを、わざと三角にひねりて客の眼をひかんとたくみしようなれど‥‥三角餅の名いつしか其近在に広まり‥‥」〜「置土産」の冒頭〜
 縦116cm、横86cm、奥行き17cm、花崗石の自然石に刻まれたこの碑は、独歩の遺友、岩国市の元代議士永田新之丞の揮毫によって、昭和四十三年(1968年)に建立されました。

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